東日本大震災ボランティア 2nd (宮城県石巻市)参加
二週間前に出向いた東北宮城、石巻(内田裕也の言うところロックンロール)に再度行ってまいりました。
前回、現地ボランティアセンターに着く時間が遅くなってしまったことを反省し、大阪からの直行バスよりも3時間早く仙台入りできる東京経由を選択しました。昼過ぎの大阪駅発で8時間かけて到着した東京は、思った以上に節電を意識しており、車中からみた渋谷は土曜日の夜と思えないほど暗く、コンビニなどの看板も消えていた。夜に至ってはそれほど節電する必要はないように考えられるが、人々が浮かれる雰囲気はない様子。これほどの温度差があるとは、関西では感じ得なかった事態である。
仙台に向かうバスには大きな荷物を持った多くの若者が乗り込み、さらに6時間かけて仙台に5時過ぎ到着。7時ごろから配布される石巻ボランティアセンター行きのシャトルバスの整理券を待った。定員80名を確保するため、6時を過ぎたころから人が急に集まりだし、気が付けば何十人もの人が別の手段を模索する姿を見ることとなった。
集まってきた方々は、地元仙台の方や、東京、京都、遠くは岡山、北海道と各地からスコップなど持参して来ており、皆が限られた時間を少しでもお役にたてたいという一存で集まって来たのである。
7時45分、石巻に向かい二台のバスが仙台を立つと、約二時間かけて石巻ボランティアセンターである石巻専修大学に到着。取りまとめのコーディネーターが受付でニーズを受け取り、そのままバスでさらに移動し、石ノ森漫画館の少し東に入ったところでバスを下車し、班割でそれぞれが10時頃から作業にかかることとなった。この辺りは、前回も来たところなのだが、二週間前と比べて、自衛隊などの奮闘により、やっと普通に車が道路を往来するまでに至っていた。そのかいもあって、食料等の物資は多く届けられているようで一安心。でも現状はそれまでで、実際は、電気もガスも水道もまったくである。電柱は折れ砕け、電線が歩道や民家に垂れ下がっている。
振り分けられた班は第7班、女性二人を含む六人で、一軒の民家の泥出し作業にあたることとなった。津波の影響をまともに受けた河川からほど近いその民家はおばあさんが終日片付けに追われており、これまで参加したボランティアの成果もあって家内はすっきりとしていたが、敷地内にはたくさんのヘドロ交じりの泥が異臭を放って山積していた。30センチ掻いても底が見えないその現状に、土嚢袋はすぐに山の状態となった。
作業の合間、おばあさんやご近所さんとも沢山のお話を聞かせていただいた。家の壁を指さしながら、ここが流れてきた家がぶつかったところだという。道路側のお住まいの方は、ダンプが庭先のブロックに引っかかり、手が付けられないなど。理解できない会話が30分ほど。比較的若いご夫婦は、貸していた店舗、自営する飲食店、住んでいた住居のすべてが水害にあい、やっとここで油まみれの飲食店を片付けているとのこと。なにが”がんばろう日本、がんばろう東北”だ、海に向かってばかやろうって叫んでもしょうがない。やるせない思いを伝えてくださった。なにも返す言葉が浮かばなかった。ここにおいては、原発のことなどどうでもよい話なのだ。希望を見出せる指針を一刻も早く、国は出すべきである。
頑張っている人に頑張ろうというのは、のびしろに余裕のあることを見越して応援するきれいな言葉であるが、この現状下では、通用しないのである。神戸の時、頑張れではなく、頑張ろうという言葉がきっかけとなれた。が、国や自治の後押しがみられない地域はまだまだ多い。原発も確かに大事であるが、国からの言葉は届いてこないことに東北の人でも我慢の限度があると感じられた。
ありがとうっておばあさんは微笑んだが、その言葉に力を感じない。有難うにもいろいろあるが、心から喜べないその重みのある言葉に、やるせない気持ちになった。
ボランティアは3時半までで終了、その後4時にセンターに戻り…とのこと。予測できる土日復興の渋滞で仙台に戻るには、大阪行きのバスの出発時間を計算すると、余裕を持てないため、少し前の3時に切り上げることにした。仲間に別れを告げ、バスに乗るために石巻駅まで歩いた。二週前、道路に乗り上げていた漁船は片付けられており、ほんの少しだが街はきれいになっていた。
予定より30分遅れで仙台に着いた。一本後のバスだと夕方に絡み、おそらく一時間以上は遅れたかもしれない。牛タン定食を食べ、一息ついて12時間のバスで大阪に戻りついた。
バスを待つ間、一人の若者が大きな荷物をもっていたのでボランティアに来たんだと判断し、声をかけてみた。彼は女川という町の出身で、この春に仙台にある大学を卒業し、東京の商社に就職が決まっていたが、東北に残る道を選んだという。何年もの月日が経過した後、間違いではなかったと思えるような生き方を彼ならできるのだろうと思う。多くの人の人生をかけた今後の東北。とても感慨深く、長い一日でした。
帰りのバスで同乗されていた京都の住職に手を合わす意味を教えていただく。すると少し穏やかな気持ちになれた。
本当の意味のある復興を、希望の持てる復興を切に願い、手を合わすことにしよう。
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前回訪問した二週前は、大阪で桜の開花があった時期でしたが、仙台ではちょうど桜が見ごろ。都市に近い地域では、電気・ガス・水道ともにかなり復旧し、大きな被害がなかった店舗や飲食店などは通常の営業に戻っていました。