新潟・福島豪雨災害ボランティア参加(三条市上保内)
7月29日の豪雨災害で被害が大きかった新潟県三条市のボランティアに出向いた。
数年前に中越地震で柏崎に出向いた際にはかなりの長旅と感じたものだが、このところ東北方面への夜行バスで幾度となく通過しているため感覚が麻痺してるのか、比較的負担を感じる距離でなくなっていた。
とはいえ、9時間のバスの旅、それに加えて夏の日差しは、今回のお手伝いで難を要することとなった。
大阪を前日夜に出発し、バスで長岡駅まで。そこからJRに乗り継いで三条駅下車し、徒歩で20分ほどかけて、今回お世話になった三条市ボランティアセンターに到着。少し早く着いたので、参加者といろいろなお話を聞かせていただいた。中には、三重の方で、数日前に東松島からこちらに来て、キャンプされてる年配者のお話は、かなり刺激のある内容で、ただ感服。
集合時刻を待つ多くの方、一人ひとりにそれぞれの背景があり、このような災害において率先してお手伝いに来られる経緯など伺うと、印象深い出来事まで抱えておられることも多々聞かせていただけた。人それぞれではあるけれど、流れゆく出会いの中で、もう少し注意深く接することで、より多くのことに触れることも再認識である。
8時半の集合時間には多くの方が集まりだしていただので、早めに名乗り出ることにした。我々のグループは7人構成で、ほとんどが近隣の方。男性ばかりの比較的年齢は高め…。
早速資材を積み込み、一軒の民家に行くこととなった。
いざ辿り着いてみると、一見して被害は見受けられない。床下に水が流れ込んだようなのだが、通気の妨げになる様子もない。我々のお手伝いする内容でないと判断し、センターに確認のうえ、いったん戻ることに。
ボランティアセンターがコーディネートのミスを犯し、内容確認不十分のために、時間労力において非常にもったいない結果を招いたのである。ボランティアセンターの課題!
気を取り直し、次に向かった先は上保内地区。下田地区同様、川の氾濫による被害がひどかったエリアのひとつである。
サテライト化した近くの寺で物資を調達し、徒歩で向かった先は川沿いの民家。今回の作業は庭の泥掻きであった。
御宅の奥さんに状況をうかがうと、幸い家内への浸水は最小限にとどめられたとのことだが、庭の畑や納屋には、その爪痕がはっきり残されていた。
10時半ころから作業開始。
暑くなる昼までにどれだけ進められるかなのだが、既に今日は朝から暑い。突き抜けた感がある夏の快晴に、開始早々ばて気味。時折吹く風に心和ませながら、30cmほど堆積した畑の泥を土のう袋に詰めてゆく。二十分作業ごとに十分休憩を入れても疲労度が上回り、作業はあまりはかどらない。それほど広くはない畑であるが、一日で終わる内容ではないことに見切りをつけ、分担を明確にしながら、進行することにした。なるほど、ほとんどの方が数回は東北で作業の経験者であるため、細部にわたる判断力は非常に頼もしい。
休憩の度に奥さんが氷菓子やスイカなど差し入れていただき、気さくな笑顔を振る舞っていただくのだが、我々からするとやはりおかしな勘違いである。元気は一方通行でなく、相互からより大きな力を生むのであろうが、今回は分が悪い。気合を入れてみるが3割減の空回りな状態。
それでも悲鳴を上げる少し手前までを維持し、ようやく目途が立ってきた。
予定では3時までの作業であったが、センターからの要請で2時半に切り上げるとのこと。
資材を洗浄・片付け後、センターに戻って報告して本日の作業完了。
午後4時過ぎにはセンターを後にすることとなったので、その後予定していた用事のため、新潟駅に出ることにした。
途中から、浴衣を着た若者が目立ってきて、少し嫌な予感はしたが、駅についてみるととんでもない人だかり。 新潟祭りだそうだ。
つい先日、豪雨のため数人の死者まで出た災害があったこの地において、多くの若者が街で楽しんである。それ自体まったく悪い印象を受けることでないが、ボランティアセンターで見かけた多くの方は年配者であっただけに、つい考えさせられたところであった。
(追記)
三条市災害ボランティアセンターでは、南相馬からの避難者が現在50名ほどおられるとのこと。当初は300人ほどだったが、それぞれの事情によりこの地を離れたそうだ。 残った方々の心境を察するに、複雑なものであったと考えられる。
その状況下、近くで発生したこの豪雨水害はさらに感慨深い出来事であっただろう。