東日本大震災支援 30th(小高区)& SORAアニマルシェルター

いろいろとあってかなり久しぶりとなった東北巡行。
今回は福島市内で除染講習を受講する目的を含め、限られた日程の3日間の予定を立て出向くことにした。
始発の環状線に乗って、7時過ぎのピーチで仙台へ。レンタカーを走らせて福島市内山間のSORAアニマルシェルターへ初日のお手伝いに出向くことに。道中、止むことのない雨の中を車を走らせ、現地に着くころにようやく小雨。昼からの作業に参加させていただくことにした。
ちょうど二年前に来たときに比べ、ワンちゃんの数は15匹とかなり少なくなっている。知っているスタッフもおらず、おぼつかない手順等を現スタッフに聞きながらの作業。この日は5匹のお散歩、水入れや餌の準備、寝床準備や洗浄作業など。
週末を除くと作業する人員はかなり少なく、私を含めて3名とスタッフ2名のみ。さらにこの週末に東京のアースデイに参加するとのことで、準備に若干バタバタしておられたようで、少しだけでも手助けになれたのかもしれない。

ラストまで残り、お決まりの記念撮影後、終業ミーティングに参加。ワンちゃんネコちゃんたちのお世話だけではなく、周知イベントや地域の活動協力、広報誌の構成、その他いろいろな進捗が述べられた。若いスタッフたちだが、責任感のもとで多くのことを経験し、勉強していくのは頼もしく思える。そんな彼らの存在の影響も大きく、発災後7年をむかえてなおこの日も全国5~6ヶ所からダンボールの支援物資が届けられていた。
支援する動物たちの数と今後については、活動自体がどのように変化していくのかわからないが、今までもこれからも、たくさんのメッセージを伝える意義と意味するところがここにはあるのだと感じることができた。
午後6時をまわりやや暗くなってきたのでSORAを後にして福島駅近くの宿へ。

二日目は、事前に申し込んでおいた「除染作業従事者特別教育」除染の講習会を受講する。仕事として除染の活動を従事するものが受けなくてはならない資格のようなもの。放射線を学び障害防止の知識を身につける講習で、その修了証をもって活動を承認される。
一般に理解は様々であるが、国の方針を作業レベルで命じた基準についが主たる流れ。決して安心だとか大丈夫だとかの言葉は聞けるはずもなく、せねばならないルールを守りなはれ!という感じに受けた。たくさんの数値と単位と工程があり、いわば超巨大ゼネコンここにありって感じ。危険性は隣り合わせのため、幾重にも管理者をつけて、多くの人員がたくさんの日当で、ゆっくりと前進していくのです。
今回受講したのは20名。その大半はすぐにも現場に立つという。休憩時間に数人と話したが、建設土木関係の50歳以上と見受けられる人が多いが、若者もそこに数名交じる。中に作業着でない短期高給狙いの若者がいたのも非常になまなまし現状を垣間見た。
5時間半を真面目に聞いて、テストを無事こなして修了証を手にした。今後はどうするかは別として有意義な時間であったことは確かである。
予定する時刻前に終わったので、最終日の浜通りの南相馬市小高での活動に備えて、暗くなる前に山越えの移動をすべく早めに福島市内を発った。
夕方の薄暗くなる頃に南相馬市に到着。これまでに幾度となく訪れているが、車の量と街の様子がかなり違ってみえる。インフラ整備の作業車ももちろんだが、営業車や一般車両もかなり増え、コンビニはいたるところに設営され、子どもたちも多く見受けられる。気になったところでは、やたらと太陽光発電システムが目立ち、遠くに見える海岸沿いには風力発電のプロペラが連なってみえた。意図するところ全てはわからないが、確かにこうして街が形付いている。

三日目。最終日は南相馬小高での復興作業。
夜中に激しい雷雨があって寝付きは良くなかったが、快晴の朝を迎え気合が入る。小高もしばらくご無沙汰しており、昨年1月以来のお手伝い。以前来たときにボラセン移転に伴って小屋を設営ので場所は承知。8時頃に到着したが、予想どおりに集まりはまばらであった。センター長しかわからないので、今日は大人しく作業に徹することに。
来年春に避難所の期限となるそうで、これからの一年は、家屋や庭、樹木伐採に引越し手伝いとご依頼も増えるとのこと。すでに意思を固めて帰還されてる方も多く、訪れるたびに町の息吹を感じる。お手伝いさせて頂いたのもそんなお宅の伐採された木片の運び出しで一日を要した。
大きなものは処分にお金がかかるとのこと、トン16000円!
ご依頼者負担となるためにできる限り細かくするが、なんせ量が多く、6名がかりでおおよそ5トンほどを軽トラ移動。気候に恵まれたので程よく心地の良い作業を残業5時過ぎまで。
帰りの飛行機がギリギリとなったが、無事帰阪し今回の福島巡行を終了。

hico