東日本大震災ボランティア 29th(南相馬市小高区)
久しぶりの東北でのお手伝い。ここ最近、全国的に災害が多く、約9か月ぶりの南相馬市小高に出向いた。
前回お邪魔させていただいた時には避難指示解除の予定がずれ込むとのことであったが、ようやく昨年7月に居住の制限解除となった。その後約半年を迎えた時点で、公式発表では住民の約1割が帰還し、事業所の2割が小高区内で業務を再開に至る。比較的線量が高くないこのエリアで様々な見解が唱えられるが、前線で東電と戦い、自らの強い意志で歩みだしているのはひしと感じる。
原発予定地の返還訴訟″生業訴訟″にも動きがあり、慎重なれど確実にそしてようやく復興に歩み始めた段階であろう。
さて当日、季節がら極寒を予想したがさほど寒くはない。これまで通りにボラセンを訪ねるとセンターのあった旅館が解体工事で裏のプレハブにて集合することに。過去にお世話になった懐かしい顔に挨拶を交わして近況をうかがう。ミーティングが始まり、今日のお話は「桜梅桃李」。お坊さんの説法に近い時間を有難く過ごす。その後班分けがなされ、継続参加でない私を含む4人が向かった先は徒歩でも3分ほどの移転先予定の新しい事務所で、ミーティングルームとなる設営と雑務。主には外周のトタン張りであるが、この先の拠点となる場所だけに気持ちを高めて作業にかかる。
センターから近いこともあり、突然の依頼が舞い込み、その都度手を止めて対応に出向くこと数件。便器の搬送、大型家具の搬出、屋根に上がってのアンテナ除去、細かいながら完結作業をこなし、元の作業に戻る。
予定した段階まではたどり着けなかったが、周囲の風よけには形付けて午後4時ころに本日の業務を終えた。
昼間の休憩時間に小高の町を歩いて回る。
徐々にではあるが、管内でも住民も多く見受けられ、家屋の修繕や新築工事が進む。歩いていける距離にコンビニが再建し、国道沿いには商業看板も目立つほどとなった。
他の東北災害復興から遅れること5年ほど、ようやくである。(HICO)