東日本大震災ボランティア 6th(南相馬市鹿島区)参加
二週連続となったが、災害復興のお手伝いに出向いてきました。
前回同様、作業の遅れが懸念される地域を模索したところ、今回は南相馬に行くことにした。
南相馬は、御存じのとおり原発の影響でしばらく避難地域として位置付けられ、復興の初動まで時間を要した場所で、これまで個人で現地入りをしたかったが、バスの時刻と集合時間の都合で機会がなかった地域。
この度、福島県ボランティアセンターの呼びかけに早速申し込み、バスを手配して準備した。
関西以西では大雨が降る中、毎度どおり梅田より12時間のバスの旅を出発し、約40分早く福島駅に到着した。少し肌寒い(17℃)ほどの薄曇りの天気で、とても気持ちの良い朝だった。
早めに集合場所にいると、一人の若者と再会した。石巻ボランティアで同行した東北大学の青年。5月から授業が再開してなかなか時間が取れなく、久しぶりのボランティア参加だという。不思議な縁である。
社協が用意したバスに乗り込み、一時間半ほどで、南相馬市鹿島区ボランティアセンターに到着。その後、大内地区へさらに進む。
このあたりも津波に完全に飲まれた場所で、比較的起伏の少ない地域ゆえ、見渡す限りのかなり広範囲で惨劇に見舞われていた。
道中目に入ってくる光景は、沿岸部からほど遠い場所にもかかわらず、多数の漁船が田畑に打ち上げられている状態。いまだ手を付けられていないその状況は、まさに復興とよべる姿の入り口にかかったに過ぎないことを強く印象付けた。
原発の影響もあり、被災者にとっても今後をどう考えるか定まっておらない方々も多いらしく、とにかく長期にわたる復興作業が余儀なく受取れた。
午前午後とも、生活排水の側溝の泥出し作業にあたった。約二時間ずつであったが、それ以上の効果を参加した誰もが体で感じ得たと思うほど、かなり重い作業であった。特に昼からは日差しがきついほどの快晴となり、気温の上昇も作業にこたえるなか、一面が池のような状態の中から溝を見つけ出して水の流れを戻すといういたってシンプルなもの。
最初にバケツである程度の水けを掻き出し、次いで泥を一メートル以上掻き、やっと側溝のブロックが顔を出す。その間、カエルやドジョウ、ワタリガニなど様々な力強い息吹たちを安全なところに移しながら作業を進めた。総勢20数名の結束力により、みるみるうちにきれいになってゆく。
刺青入れた兄ちゃんやアメリカから駆け付けたおっちゃんなど、見知らぬ者同士が助け合い励まし合いながら、この大きな大震災の復興のなかでの小さな小さな成果を目の当たりにする。一瞬にして破壊した自然の力は凄まじいものであり、人が生活を取り戻すには確かにかなりの時間はかかるが、必ずプラスになる日が来ると信じる一コマであった。
作業終了時に地主さんが来られ、一部分のことではあるが元に戻った箇所を眺めて、微笑んでらした。私たちの思いや力はほんとに微々たるものではあるが、こうして少しの希望につながることができることは何よりものことである。
すがすがしい思いで南相馬のセンターに戻り、泥を落とし、福島駅に5時半過ぎに到着。帰りのバスまで時間があったので、物産館で郷土品を物色。事前にチェックしておいたエゴマを中心に日本酒やゆべしなどを購入。韓国料理でよく知られるエゴマは、国産では東北地方でしか作っていないとのこと。早速風味を確認して、料理で提供できればと検討してみよう。
南相馬市鹿島区ボランティアセンターにていただいた資料
『東日本大震災 福島県南相馬市の状況(平成23年6月1日現在)』(PDF)
(HICO)
参考
相馬野馬追(国定重要無形民俗文化財)・・・今年の開催は中止とのことです。