霧島山新燃岳 都城市降灰除去ボランティア 参加

いまだ活動が収まらない霧島山新燃岳の噴火による降灰の除去作業をお手伝いすべく、宮崎県都城市のボランティアに参加してきました。

いつもながらに日数が限られているため、フルに一日をお手伝いに充てるために夜行バスを利用することにした。20時過ぎ梅田発の近鉄バスを利用して片道11時間超の長旅。車中は意外と込んでいたために窮屈な状態で寝不足のまま都城インターを下車、宮崎交通のバスに乗り継ぎ西都城駅へとたどり着いたのが8時半ころ。既に、現地に向かって発進している中、何とか受け付けていただき、地元社協の方の軽トラに乗せていただくことができた。
向かった先はというと、新燃岳から約20キロ程東南の場所にある集落で、報道などで知られている高原という町と同等の距離に位置する。
この日参加したのは、近隣の消防団や地元小林高校の野球部の皆さん、一般ボランティアなど約60名。前日までの作業により復旧は進んでいるものの、あと数軒の民家が手がつけられないという状態をこの日に終わらせるというもの。
四班に分かれ、各民家に手分けして作業にあたった。ほとんどが高齢の一人住まいの方で、落胆ぶりは尋常ではない。作業の合間をみて、声をかけることにした。
降灰は酸性を含み、せっかくの畑は無残な状態。過度の吸引は人体にも危険性があるため、心身ともにきつい状態であることを知る。

作業は、さすがに高校の野球部がいることで休みなく進められた。昼頃に消防の方が回ってこられ、屋根に堆積した灰を下ろし、これをまた除去することで、やっと一軒の民家からくすみが拭われた。
この辺りの降灰はやや大粒で、都城市街地にあった粉状とは違い、砂や砂利に近く、ほとんどの場所で5センチほどが堆積している状況である。
3時半頃に作業が打ち切られ、センターに戻り解散。
帰りのバスまでに少し時間があるので、身体に疲れはあったが西都城から都城駅まで約二キロ程を歩いてみた。人通りは少なかったが、道中で地元の方とお話しすることができた。都城は宮崎県にあるが、薩摩の名残を多く受けており、変わる良さもあるが変わらぬ良さもある都城についていろいろ聞かせていただいた。
薩摩のラーメンを食べて、恒例の地元銭湯で汗を流して、長い家路についた。

御存じの通り、宮崎県は口蹄疫問題、鳥インフルエンザなど数々の困難で非常な状態である。都城の情報しか聞けなかったが、口蹄疫の問題では、一軒の酪農家に被害が出て、その半径10キロが毎月20日に石灰を撒いて対処を続けているとのこと。石灰のアルカリ質により口蹄疫の対策となるのだそうだが、この度の降灰は酸性を含むため、中和して意味をなさない状態であるとぼやいておられた。

新燃岳はいまだ活動が収まらず、6日現在で毎日数回の噴火を繰り返している。地元の方の話では、毎年2月後半から3月にかけてこの地域特有の梅雨のような状態を迎える時期があるとのこと。例年は、農作物にとっての恵みの雨として有難いそうなのだが、今のこの状況を察すれば、数年前の雲仙普賢岳の惨事を思い起こす土石流の危険を含む。状態にもよるのだが、三宅島では、たった4ミリの雨でかなりの土石流による被害が発生したという記憶がある。
自治体もこのことは承知しているはずなので、二次三次の被害を生まぬよう配慮がなさればと思う。国は分かっているのだろうか。この惨事はとんでもない状態であることを…。

火山活動が小康、終息に向かうことを願ってやまない。