佐用町災害ボランティア(平福地区) 参加
先週お手伝いしたのだが、どうもやり残した感が多くあったので、再度、ひょうごボランタリープラザのボランティアバスにて佐用へ行ってきました。
連日、ボランティア不足が叫ばれていたせいもあり、各地より十数団体のボランティアバスにて大勢の人が駆けつけており、私たちは佐用の郊外にあたる平福地区に行く事となった。
佐用のボランティアセンターよりバスで10分ほどの場所にある平福の道の駅に下車し、徒歩5分の民家四件に、30人ほどが振り分けられるかたちで作業にあたった。
このあたりは、昔の宿場町となっており、建築100年を越すであろう建物が軒を連ねる。私たちの班は、その内の一件、代々お住まいになられているK山さんのお宅を担当することとなった。
災害から二週間が経とうとする御宅の人たちにはかなりの疲れが見受けられ、よりいっそう気合がはいる。主な作業は、隣接する川の氾濫に伴う床下の泥かきと畑の整地である。どちらも一筋縄ではいかず、一時間に10分ほどの休憩を入れながら、皆で取り組んだ。三世代お住まいの家の方たちは休むことなく作業しておられるので、ついつい休憩を取り忘れて没頭してしまう。
話を聞くと、避難勧告が出て直ぐに、御宅の目の前にある公民館に移動することが不可能なほど、氾濫した川が道路にあふれ出し、あっという間に水深1メートルほどの激流となっていたそうだ。押し寄せてきたそれは、数台の自動車を浮き上がらせて運んでいくほどであったそうだ。
二週間前のことが鮮明に目に浮かび、ここ数日までの間、体は疲れているのにまともに寝れていないらしい。大家族とはいえ、広い家を家族だけで復旧させるには、体力と精神力の限界がある。遠慮なく、来ているボランティアに要望を出して欲しいのだが、「申し訳ない、申し訳ない」の繰り返し。人は、その立場になってみないと、到底わかりっこないことが多いが、今日より明日、少しでも前進することで希望につながればと考える。
失ったものは、聞かせていただいたものだけでも、私には耐えられないほどだ。御近所でも、仕事に使う機械や設備が使い物にならなくなってしまって、廃業するしかない方も相当おられるとのこと。ほんとにいやになると思う。泥をかき出して、いったいどの状態になれば落ち着く基準といえようか。
今回、プライバシーの関係で皆まで表現できないが、守るものを失っても、如何に人として強くいられるのかを十分すぎるほど感じ得た。
とにかく、がんばろう!です。
選挙も近いこの時期、深い意味はないが、選挙ボードに貼ってあるポスターには泥がかかっていました。
ひょうごボランタリープラザ
レスキューナウ災害ボランティア情報支援センター