東日本大震災ボランティア 21th(南相馬市小高区)

南相馬小高へのお手伝い。
出向く前一週間は台風8号、そして津波警報まででた福島沖の地震。かなりヤキモキしながらも出発。

南相馬小高ボランティア20140713 01何時ものように小高のボラセンで集合する。20名ほどの団体もあり、約30名が集まった。一般ボランティア個人が5名で作業にあたることとなった。
南相馬小高ボランティア20140713 02向かった先は、海岸に程近くで、浪江町との境界にたたずむ民家。
この地を国から買い取って切り開いたのが親の代で、約60年とそれほど昔ではない。母屋に畑、井戸にいたるまで自ら造り上げてきたものが形としてそこにあった。が、発災後2年間手を入れないこととなると、家は傾き、ネズミの住処となり、井戸は枯れ、畑は雑草だらけ…と悲しい。
50歳前後のご主人に話しを伺うと、この先どうするかは決めかねていると…。国や地方自治が具体的な政策が定まらない現状で、致し方ない。
開拓を知るお婆さんが示した意思として、畑の一部に4列の花の苗が植えられていた。この花が立派に咲く頃には何らかの進展が見られると良いのだが…。

南相馬小高ボランティア20140713 03南相馬小高ボランティア20140713 05さて我々の作業はというと、主として草刈り。畑は決まりごととして業者が入ることとなっているらしく、個人的な作農地、畦、敷地内の雑草を刈る。久々の草刈り機に少し戸惑いながら取り掛かる。様子をうかがいに来られたセンター長M氏が、私の様を見て近寄った。自衛隊仕込みの適格な動きに、目からウロコである。早い時間に適格な教えをいただけたので、その後は無駄なく納得の作業。限られた時間、午前午後とも草刈りに勤しんだ。
昼から雨にあいながらも、台風一過で真夏日を想定していただけに恵みとなって、捗る様子に、経過結果とも喜んでいただけたようだ。

南相馬小高ボランティア20140713 06同行した方がガイガーカウンターをお持ちだったので、見ていただくと0.2マイクロシーベルト、センター近くで0.1…と、沿岸部に位置する場所ではそれほど高くはない。
ただ、町単位での政策となると難しいところである。今回お邪魔した場所も浪江の市街地の方が近いが、南相馬の政策となる。
線量など個々の事情や事案はなかなか通らない。元の生活に戻る戻らないの意思は、決まって自己の責任で…と。

確かにまだまだではあるが、人の姿と乗用車は確実に増えている。
こうして、当時開拓してきた方たちのように心強くして再興していくのであろう。

HICO