徳島県那賀町 台風11,12号災害支援

徳島県那賀町 01台風災害で特に被害が大きかった徳島へとお手伝いに出向いた。
ボランティアの募集が見受けられたのは三か所。阿南、海陽、那賀で自らの経験を活かせそうな当日(13日)作業開始の那賀地区を選択。
通常、ボラセン開設時はあたふたと上手く機能することはあまりない。センタースタッフもそのエリアにおける被害状況が把握しきれぬうちにスタートすることが多いため、資材調達、住民への作業依頼受付告知、一般受付さらにコーディネートと混乱することは致し方ない。
そうした初動の助っ人ボランティアも数多く来られているようで、数人の知り合いとの出会いもあった。おおよそは濃い方が多いので、記憶には残されているが、この徳島の山中でおそらく東北で出会っただろう方たちと再会するのは不思議なものである。久々の再開にもかかわらず、あっさりと近況とあいさつを交わすとすぐに目的に戻るといったドライな関係が程よく心地の良い。

8時半を回り、団体を含めて約50名を超える方々が次々にコーディネートを済ませ、資材をもって現場に向かってゆく。
この日、まず午前に向かった作業は、川から田畑を挟んだ民家で、車一台分ほど小高い場所。それでもお宅の一階部分は床上80㎝ほど浸水したようだ。センターから車で10分のほどで、現場に着くと既に床板が上げられており、すでに近隣お方が作業中のところに加わって、基礎部分の泥かき。程よい道具を持ち合わせておらずに多少苦労はしたが、柄の短いスコップで泥をかき集め、塵取りですくって土嚢袋へと流れをまとめる。3名ほど手慣れた方がおられたおかげで、床下の泥出しがメインの作業であったが、10名のボランティアが総出でかかると、窓ガラスや外壁に至るまでの作業が午前中にスムーズに済ませることができた。一部構造上で光が届かない個所が作業的には残されたが、今後の状況を含めて様子を見るという結論で完結。

昼前にセンターへと戻ってきて昼食タイム。有難いことに二階部屋はエアコンがかけられていた。暑さのピークである印象のお盆の最中、天候気温とも作業的には恵まれた環境で、己の体力のなさ以外には、申し分ない状況であった。
班となった方々としばし談笑。中に初めて参加したという50過ぎくらいの方に聞いてみると、河川の仕事をしているという。この度少しかかわったこのエリア、コンビニが水没している映像を見て、行動に出たそうだ。詳しい説明はわからぬが、ある数値まで耐えうる構造が7-8割の値で川があふれたそうだ。根本から見直しがなされる必要が出てきているのかもしれない。

 昼からは別のコーディネートがなされ、5名が招集。センターからぽつぽつと徒歩10分ほどの場所で午前とは反対側。家財出しと依頼受付に記されていたが、結果的には納屋の全てのものを搬出作業となった。
通りに面した母屋の奥で、川のすぐそばに木造8畳ほどのそれほど大きくない建物。老朽化した木造の納屋にこの度浸水した影響で中にあるものすべてが水浸し。ベッド・布団・書籍・大工道具に濡れた畳、さらにその重みで床が抜けた状態。現場に立ち、臭いとよどんだ空気で少したじろいたが、ためらっていても状況は良くなることはないので、早速取り掛かる。
おそらくきれいに整頓されていたであろうが、床が抜けたために状況が一変したと思われる。お宅のおばあさんの監修ものと、2台のネコ(一輪車)を駆使しながら、次々と通りまで運ぶ。暑さの独特のもわっとした空気の中、頻繁に休憩を取りつつ、作業は3時過ぎまで続けて目安が付いた。気が付くと、通りには4tトラックに積みきれないほどの量。 あまりに黙々と打ち込んでいたため、最終のこの状況には正直驚かされた。お宅の方は非常に満足されておられた様子に、こちらとしても清々しい。ただし、これは納屋だけの話、Kさんは遠慮されている様子であったが、母屋にも浸水が及んでいるので、早急に床板をあげて石灰などまかなくてはいけない状況。その旨をリーダーとKさんに伝えるとともに、センターに申し送りをすることで、午後作業は完結。

この度の水害はこの地において予測されておらなかった様子で、これからも作業依頼は寄せられてくるものと考えられる。幸か不幸か、お盆の時期ということもあり、人手が確保できるこの初動の間に程よく作業が進められることが説の望まれる。
ひとしきり感じられたことをセンターに伝えて、大阪へと…。
ちょうど徳島は8/12-15の間は、あほうどもが踊りまくっていたため食事はとれず、多少の渋滞に巻き込まれながらも約4時間で戻ってくることができた。(HICO)

那賀町災害ボランティアセンターHP