東日本大震災ボランティア 10th(仙台市若林区)参加

久方ぶりに東北への復興支援ボランティアへ出向いてきました。3月で震災後一年を迎える現状としては、ガレキが撤去されたのみで復旧・復興に至っていない箇所が大半である。そんな中、仙台近郊の若林区で農家支援を主として活動されている団体に応募して向かうこととなった。

大阪からの夜行バスで12時間、零下の仙台につくと直ぐに市バスに乗り継いで東方の沿岸部に向かう。約30分後、今回お世話になったボランティアハウス・リルーツにたどり着いた。
既にミーティングが進行しており、途中からの注意事項に耳を傾ける。その後受付を済ませると、その日集まった約30人とともに自転車でさらに沿岸部へと約30分。沿岸から三陸道までのまさに水没した農業地帯の真ん中の農家についた。
畑の地ならしやビニールハウスの設営などの作業が普段行われているそうなのだが、この日我々は、群馬からのボランティア団体が20名弱加わったこともあり、力作業である側溝掃除があてられた。
側溝掃除は、午前午後とも同じ場所で約4時間、100を超える土のう袋が山積みとなった。こういった作業も、今後の農地復興の一部として役立てたのかもしれない。


広大な農地に見渡せる民家が数件あったが、大半が仮設に移っておられるらしく、人影がない。週に一度ほど荷物の整理などで戻ってこられるときに交流を交わし依頼を受けるとのこと。センターの方に聞くと、農家さんはいずれも高齢で、ほとんどの農地が野放しの状態なのだが、数少ない再開を求める方々の支援をしているそうだ。
白菜や大根など規模は大幅に縮小ながら収穫しているらしく、ハウスでは、トマトやキュウリの準備にかかっているという。
たくましいもので、塩害を受けた田畑は、数回水を通すことで早いものは今季から、遅くても2~3年でなんとか目途が立つのだそうだ。

多くが高齢者の私有地であって、国や自治体の思惑が定まらない現状が、今後の足かせとならないこと願う。そして、新しい復興のシステムの擁立が待たれて病まない。
多くの学生が各ボランティアセンターなどで今もなお建設的に活動しているので、今後においても大きな力となって、より良い復興の軸となっていってほしいものだ。