東日本大震災ボランティア 9th(福島県伊達市)参加 放射能除染

11月13日、福島県に放射能除染活動ボランティアに出向いてきた。
久しぶりの東北支援だが、これまでとは少し意味合い違い、環境省が率先して募集していることが注目するところ。
事の重要性と必要性を説く表現が同サイトにも載せられている。大なり小なり被曝を覚悟の上で、ボランティアに呼びかけており、その責任は個人に帰するとのことである。参加には、覚悟がいるということだ。
ツイッターなどでも多くの批判を浴びていたこの募集に少し戸惑いは生まれたが、参加することにした。
専門家によっても違うが、諦めてしまう解釈よりも確実に対応して前進していく姿勢にお手伝いできればと・・・。
事前にボランティア登録し、前日土曜日の大阪発夜行バスに乗り込み半日、福島駅に到着。その後、阿武隈急行で約30分、大泉駅から徒歩10分、集合場所の伊達市役所にたどり着いた。
募集要項からして比較的若いと表現し難い参加者が目立ったが、若い女性や学生さんも数名見受けられ、これまで参加したボランティアとは違った面持ちの約60名が出発を待った。

午前9時過ぎに3台のバスに乗り、現地となる小国集落へ到着。
この日、細野環境相が来るとのことで、マスコミやSPなどの関係者がたくさん待機している状態であった。
我々は五つの班に分けられ、役所の方をはじめ、専門家からのも入念に活動の説明と指示を受けた。
多くの作業場所では、3~8マイクロシーベルトの積算数値が出ているとのことだった。詳しいことは分からないが、そこに住んでいる住民たちにとっては決して健全な数値ではないらしい。
そうこうしていると、黒塗りの車とバスが到着し大臣が到着した。
我々を前に、大臣から感謝のあいさつと、国の経過を説明。そして少し作業にあたるとのことであった。
私の所属した3班が人数が少ないこともあり、環境省が応援することとなり、マスコミ含めた大所帯で一件の民家に移動。

早速作業にあたる。
班長となった伊達市の方が、放射能を測定して行くとおおよその箇所が3マイクロシーベルトほどで、場所によっては20を超えるところもある。平均して1マイクロシーベルトの放射線量にしていくことが目的であった。
秋深まる時期ではあるが、完全防備のためにかなり披露する作業。
ハウスや納屋、樹木の周りに堆積する枯葉、つるなどをまず除去し、そこからスコップ等で土を掻き出して、厚手のビニール袋に入れていく。見た目にはきれいにできる作業であっても、実際に計測してもらうとまだ3マイクロシーベルト。さらに3~5cmほど土を掻いていくという、地道な作業である。
大臣率いる環境省の人たちも懸命な作業に黙々と取り掛かっていた。メディア用のアクションですぐに退散すると思いきや、結局大臣は午後2時過ぎまで、環境省の一部職員に至っては作業終了まで活動されていた。ほんの数時間で多くのマスコミが取材を終えて帰るっていくのをよそに、彼らは懸命に取り組んでいたには、正直驚かされた。
すぐ横で作業していた細野大臣に、何度も気さくに声をかけられた。取り留めもない会話であったが、人となり普通の感覚を感じた。他の政治家、特に閣僚ともなれば、正直言ってよくわからん世界だけに、会派や派閥を抜きにして、人としてとても好感をもてた。今回も、急に参加を申し出た大臣のその姿だけあって、周りの方々も大変であろうがその求心力はとても感じ得る。

午後3時半、作業は終了。200あった大型のビニール袋はすべてが山積みになり、ほぼ全域で一マイクロシーベルト前後までの数値まで下げることができた。
家の人が最後に出てこられ、複雑な心境と御礼を述べられた。
確かに袋詰めした汚染物は、御宅の庭先に置かれた仮の状態。この後、数ヵ所の仮置き場に移され、そして国や地方自治の方針で対応し行くそうなのだが、確定しきれていないのが現状。目の前に山積みされた袋がある状態では、とても落ち着けたものではない。
多くの専門家が知恵を出してより良い手段をとるのだろうが、8カ月経過したこの福島の地では、未確定なことが多いのだ。

作業にあたったこのエリアも果物の産地で、この時期は山を染めるほどの柿が実っていた。干し柿のあんぽ柿が有名で、関西地域ではめったにお目にかからぬほど身がでかくてとてもおいしそうである。なのだが、今年は出荷及び加工生産できず、全てを廃棄するという。来年度以降も全く目途が立たないとのこと。とても残念で、事の大きさをさらに実感させられた。

(HICO)