熊本地震ボランティア 8th(熊本県益城・西原村農業)

鳥取の災害も気になるところであるが、今回は熊本へ二日間のお手伝い。大阪を出て約8時間かけて前日入りし、活動一日目の益城町のボラセンへ向かう。
%e5%be%a9%e8%88%88%e6%94%af%e6%8f%b4%e7%9b%8a%e5%9f%8e20161105_02この日の益城ボラセン依頼は全体で10件、90名の募集に約100名が集まった。班分けがなされ、15名でケア施設の割れた瓦の運び出し作業。早速資材を積み込んで3台の軽トラで現場に向かう。量は多いものの手慣れた作業ゆえことのほかはかどり、ほぼ予定通りに作業を終えた。センターに伺いを立てるがその後の依頼がないことで解散となった。
%e5%be%a9%e8%88%88%e6%94%af%e6%8f%b4%e7%9b%8a%e5%9f%8e20161105_01今回は、以前(一昨年の丹波の水害で)ボランティアを御一緒させていただいた仲間の三重のSさん、山口のIさんとの再会と近況報告も目的の一つ。ボランティア作業が早く終えたため、場所を復興市場に変えて情報交換。東北をはじめ、今後の益城や鳥取への活動も貴重な意見を交わす。
名残惜しいが、前日から活動に参加されたお二人に別れを告げ、再会を誓う。

益城ボラセンの話では益城の人口の約半分が何らかの形で家屋の解体待ちで、そのうち約二割ほどしか進んでいないそうだ。つい最近、仮設住民がゼロとなったニュースとは感覚が少しずれる。町の中心街では確かに更地が増え、光景に変化もみられるが、いまだ前回のままの家屋や半壊でブルーシートに覆われた家屋も目立つ。話では公的な解体待ちは数年かかるそうで、自己資金による解体も思いのほか多いとのこと。今後の再建計画もさることながら、もどかしい現状はまだ続きそうである。
業者の作業と復興指針の課題山積とは反して、一般ボランティアのできる作業は徐々に終息を迎え、今月末にも一つの区切りがみれれるかもせれない。

二日目。
%e5%be%a9%e8%88%88%e6%94%af%e6%8f%b4%e7%9b%8a%e5%9f%8e20161106_03益城のボラセンが日曜日は受け付けていないため、隣接する西原村での農業支援を事前に申し込んでおいた。実はこれまで何度か申込まで済ませていただが、何れも天候不良で中止となり、今回ようやく参加できることに。
%e5%be%a9%e8%88%88%e6%94%af%e6%8f%b4%e7%9b%8a%e5%9f%8e20161106_04早速集合時間に西原村の復興市場駐車場に向かう。思いのほか人が集まっておらず、見て取ること約10名。そのなか2名である農家さんでの収穫のお手伝いとなった。
%e5%be%a9%e8%88%88%e6%94%af%e6%8f%b4%e7%9b%8a%e5%9f%8e20161106_01震災支援か否かを揶揄する意見があるが、どの農家さんでも大なり小なりの地震被害により農業に影響があっての作業支援に間違いはない。直接的な農地の被害でなくても、用水路の決壊や農機具の損壊や、自宅修復のために農作業ができなかったなど、聞くところ色々な思いでこれまでの半年が経過してきたようだ。
%e5%be%a9%e8%88%88%e6%94%af%e6%8f%b4%e7%9b%8a%e5%9f%8e20161106_02さて、向かった先は里芋畑。何かとはじめてな作業だけに気合が入る。最初は時間がかかったが、目が慣れてきて、われ等の選別や親芋からのもぎりも綺麗進めることができるように…。これまでの復興作業とは違って、農家さんとのお話も角度の違った復興支援の学習となりえた。
帰阪の時刻予想で、切り良く少し早目に上がらせていただき、シルクスイートなるブランドサツマイモを分けていただき、西原をあとにした。

今後も何らかの形で支援できることがあれば熊本に出向くであろうが、おそらくその前に鳥取の災害支援の様子をうかがうこととなりそうだ。(HICO)

西原村百笑応援団 − 西原村農業復興ボランティアセンター