台風23号水害地域支援活動 (洲本)

2004103111月1日洲本市の様子今年は台風の上陸がかなり目立つ。23号により広域にわたって、川が氾濫するなどの被害が連日ニュースでも取り上げられた。
阪神大震災の記憶も明確に残る我々に、こんなときに何が出来るのかと思い知らされる。所詮人間である、自然相手に力を合わせないと生きて行けないものである。

近畿でも、被害が続出。10日ほどたった今、やっと先が見え出してきたようだ。実際に支援するとして、個人で可能な場所を模索する。豊岡も現状はかなり追いついてないようだが、時間的な制約から、淡路の洲本に行くことにした。朝7時の高速バスに乗り込み、9時頃からボランティアの受付が始まっていた。場所によって、人数が確保され一軒の民家に行くことになった。
見た目にはそれほどひどいというものではなかったが、泥の吐き出しだけが作業ではない。ずっしりと水を吸い込んで何十倍にも重くなった畳を廃棄するために運び出したり、倉庫の仕分けなど、住人だけで処理できるレベルをはるかに超えていた。
なかなか体にはこたえるものの、一生懸命にともに励んでおられる住人の方の姿を思うと、今、このときにしかお手伝いできないのだから、出来る限りはやって帰ろう、と。
お昼、食事を取る際、いろいろとその経緯など聞かせていただいた。高齢で足の悪い方が、背丈以上もの水位に対面したその場面は、想像を超えるものである。いろいろとお話を聞けてよかった。今、我々にそのようなケースがおとずれる事になれば、当然、動揺し、パニックとなり、被害はさらに膨らむであろう。人間の強さというものをまさに感じ、食後の作業にもさらに力が入った。
9時過ぎに来て、3時過ぎ頃には、泥まみれの荷物で山積みとなった。大げさな話ではないが、2トンが8往復ほどの量である。さらに今回のこの山積みが二回目であるという。一軒の家として、こんなにも出るものか・・・。
想像以上の重労働に、困ぱいした感も出てきたが、御人柄が後押しとなり、作業は一段落するところまでこぎつけることが出来たので、引き上げることにした。再び、会えることかどうか分からない人と人とのふれあいは、なんとも爽快感に変わっていった。

本日現在、まだまだ人員は不足しているようだ。ライフラインは全てつながり、街は動き出している。ただ、高齢の方や、障害をもたれてる方、商売などで荷物が多い方などの作業は、まだまだ。
そして、皆さんが遠慮されて、ボランティアに依頼を拒んでらっしゃる方も含めると、かなりニーズはあると思われる。

現地ボランティア情報
http://www.hyogo-vplaza.jp/etc/H161020_saigai.html

何のために出向いたのかは、そんなことは思い出せない。おそらく偽善のいやらしい気持ちもなかったわけではないだろう。偽善者でも、行かないよりはまし、なのかも・・・。
帰りのバスターミナルで、一人の女性が、“ありがとう”と声をかけてきた。自分の母親が一人で住んでいるとのこと。気持ちは晴れやかになる言葉であるが、それ以上の重みがある意味で感じた。
行きしなのバスで、喧しく携帯で話してた若者が、帰りには、泥だらけの姿で・・・、彼らと少し話が出来た。人の模様である。

何が大切なのか、少し解らせてもらえた、そんな気がした一日であった。

(HICO)