東日本大震災ボランティア 11th(福島県伊達市)参加 放射能除染

久方ぶりに東北復興のお手伝いに出向いた。今回は福島の除染。
北関東で発生した竜巻による災害ボランティアの参加も検討したが、それ以前に登録を済ませていた除染活動において迷惑はかけられないので、変更することなく福島(伊達市)へと向かった。

前日、心斎橋からの高速バスに乗り込み、いつも通り約半日揺られて福島駅に到着。軽く食事を済ませて阿武隈急行に乗り継いで大泉駅。
寒い・・・。5月中旬というのに10度前後で、風速10mは体にこたえる。
大泉駅から徒歩10分、伊達市役所に到着。そうそう、二度目である。前回も同様の除染活動で、その時は細野大臣がいたので鮮明に覚えている。
受付を済ませて9時過ぎに、約50名が二台のバスに乗り作業する現場へ移動した。
本日向かった先は、伊達市内の富成小学校。
周りを見回して子供たちのことを思うと、この小学校はすべてで、いかにも大切な町のシンボルである気がした。彼らが笑顔で走り回れる環境に一歩近づけるならと・・・、今回参加を決意した一つの理由である。

小学校の体育館にいったん集められ、市長のあいさつと学者先生の説明を受ける。
この富成地区は、伊達市内で四ヶ所ある警戒区域のひとつで、早くから除染モデルとして注目されてきた。昨年7月より段階的に計画ある除染を遂行している町である。今回は、住民及びボランティアに寄る除染の最終段階であり、町の方たちと一緒に小学校周りを掃除するという。
伊達市では、今後の除染計画として市内数カ所に、大手ゼネコンが入り、大掛かりな除染工事及び設備(150億)を施工するはこびだそうだ。大きな額である。税収はほとんど見込めない現状で、支出は、緊急性のあるものから除染の中期投機、住民の多義にわたる支援とインフラ整備も基礎からなるものが多数ある。町の存続をかけ、収支を度外視した状況となっている。国の積極的支援が求めて止まない。

市長のあいさつの後、大きく班分けされ、私は少数派で隣接する幼稚園の除染作業となった。グループは年配者ばかりであったが、どうやら皆さんは放射能に関する学者やスペシャリストのようだ。理由は簡単。小学校よりもここ幼稚園の方が線量が高いのである。数値を確認しながら、おおよその場所で3マイクロシーベルトであるのを1マイクロシーベルト以下にしていく。
幼稚園の門に設置してある線量数値が住民のひとつのバロメータとなっているが、当初0.58あったのを高圧洗浄などで0.4台に・・・。この数値は幼稚園児たちを思うと、とても納得できる数値ではないらしい。今後の対策がいろいろ模索されていた。
幼稚園の門での数値も大切であるが、水のたまる場所などで3マイクロシーベルトある箇所を如何に下げ、園児たちに可能な限り制限を少なくしてあげたいのである。
多くの学者たちが示す通り、現時点では住民がマスクなしでも生活できる水準となってきているが、立ち入り禁止場所などいろいろ制約があるのも現状である。それでも・・・、それでもきれいに除染し続ける。そうするしかない。

昼休みに周りを見回してみる。ちょうど田植えのシーズンだが、現在ゼオライトなるものをまいて、その後植え付けするそうだ。勿論出荷の見込みはない。
除染もさることながら、現時点で農家や酪農家の困憊した状態は何ら解決されていない。こうして現在も中長期的広義にわたって、試行錯誤しながら、歩むものは力強く、這いだしているのだ。出荷されているものも現実としては多く、基準値は問題ないのだが、やはり風評被害で流通に滞りがあるらしい。
こうした住民の方たちの状況を鑑みると、増税はやむを得ないところではある。が、しかし、この国を取りまとめなければならない政治家や官僚さんたちは、この一年でどれほどのことを成し得たのだろう。目にしたり耳にする内容では、温度差は一向に解決されていないようだ。
物事の(道理的に)順序があるなら、すべき姿勢が微塵も感じられないと素直に増税を受け入れがたくなる。一国の悲しすぎる現状に、希望は見出せるのだろうか。

ひとしきりの作業を終え、市役所まで戻り解散。また12時間かけて帰阪した。
戻って荷物の整理をしていると、”御礼”なる封筒が出てきた。今回訪問した富成小学校の生徒さんが我々ボランティアに綴ったものだ。多くの励ましと支援、人のつながりに対して常に感謝し、その思いがあふれている。人と人がつながる限り、多くの未来を生み続ける。原発についてはいろいろあるが、ここでみる子供たちが信じることこそが正解のようだ。

伊達市市民活動支援センター.