台風10号災害ボランティア参加(南富良野)

img_2122台風10号の被害が大きかった北海道・岩手。南富良野へ二日間の手伝いに出向いた。
前日夕方に30度を超す夏の大阪(関空)を発ち、ボランティアセンターのある南富良野の道の駅に着いたのが夜中0時で気温は一桁8度。車中泊でガタガタしながら夜明けを待った。
午前8時、センターで受付が始まる。平日は100名ほどがこの連休、小雨降る中でも300名以上が支援に駆け付けたとのこと。

img_2099ミーティング前に現況についての報告を受ける。発災後二週間を超える時期ながら、いまだ避難者はおられるが、徐々に市民生活の復旧は改善されつつあるとのこと。(ただ、この近隣では橋脚崩落など根室本線の復旧に時間を要するものとされ、鉄道インフラは赤字路線が多いだけに深刻な問題化といえる。)
今回の災害支援、ここ南富良野では大きく分けてボラセンのある幾寅地区と、東方面10キロほど離れた山間に近い落合地区に分かれる。幾寅地区は川下の開けた平野部で民家も多く、空知川の氾濫による泥出しが多くの支援活動となる。一方、川の合流地が中心地となる落合地区では流木の堆積による護岸の崩壊など、直接的な被害が目立ち、比較して規模が甚大で作業が多義にわたる。

挙手性の班分けで迷うことなく落合地区へ行くことになった。
札幌、旭川、室蘭、帯広など道内各地からの五名の有志とともに、早速、隣駅JR落合駅にサテライト化されたボラセン分所まで移動。依頼の詳細を受け、資材を用意して現場へ。
img_2110img_2107向かった先は、川の合流地に一番近い場所で、約5mはある護岸に立つ納屋がながされたお宅。これまで数日間継続作業がなされている民家で高齢のTさんが依頼主。

img_2104img_2112img_2113午前は、薪の移動と積み上げ、小屋の解体。昼からは、解体後のトタンはずしと宅内の泥出し。休憩時間に美味しいとうきびをごちそうになりながら、冬の生活(薪ストーブは特に興味深い)など関心事を色々と聞かせていただいた。災害当時のお話は支援が入って数日目ということもあってあえて控えた。終日雨に打たれながらであるが予定通りに事が運び、依頼完結まで至ることができて現場を離れ、報告を済ませて一日目を終了。毎度ながら一期一会に暖かさをいただいた皆さんと別れ、人に会うために東方80km帯広に移動。
img_211727年前に大変お世話になった方との再会を希望したが、ご本人は他界されたとのことでご親族の方がわざわざ隣町の芽室から会いに来ていただけた。残念な気持ちではあるが、寂しく豚丼をいただく。

img_2118一晩を帯広で明かし、再び南富良野へ。前日とは打って変わって気持ちの良い天候。限られた日程のためにより一層気合が入る。班分けでやはり落合地区。昨日同班の二名と新たに二名、5名で現場へ。
img_2124現場はラフティング(川下り)を企画運営するFさん宅及び事務所。午前は主に高圧洗浄機による洗い作業。昼前には予定の依頼をすべてこなし、休憩時間にFにお話を伺うと、道内でもこのあたりの川下りは有名らしく、個人で開業6年目にして大きな倉庫を何個も抱えるほど成果。作業時にも某有名雑誌の方がご挨拶に来られていた。
今回の災害で多くの資材や道具が流され、損害も多かったそうだが、補償は一部義援金が配給されたのみで、事業での損失はいろいろと検討していくとのこと。計り知れない損害に毅然に前を向いておられるFさんには心打たれるものを感じた。

img_2126昼からは別の依頼でヘルプの要請が入り、近くのお宅の倉庫から荷物の運び出しを手伝う。その倉庫は解体を待つ準備まではかどって目途が立った。作業の終了時間である3時を前に少し時間ができたので、気になる午前の場所Fさんのところへ。時間の許す限りであるが、川の方に流れ出た枕木数本を人力で運搬。こうしてこの二日間の作業が終了。
ボラセンのある幾寅に戻ると、暖かい炊き出しのふるまいを受ける。とっても美味しくいただいた。

まだしばらくはボランティアが必要な状況で、豪雪地域だけに冬の訪れ前に何とか落ち着かせたい思いは皆の願いのようだ。

南富良野を後にして札幌へ。構内に寝袋で寝た昔とは違って、かなり綺麗になった札幌駅で、当時の仲間と再会。
翌朝、台風16号が近付く大阪へ帰阪すべく新千歳空港へ。何とか飛び立ったが、最も暴風雨がきつい時間帯で着陸できず、3回タッチアンドゴーの後、なんと宮崎空港に給油。その後ようやく6時間かけて関空に戻ってくることができた。
短い間ではあったが、昔は遠く感じた北海道も災害支援とくくれば、同じ日本国内、助け合うことで距離感はなくそれほど難しいことではない。
HICO