熊本地震災害ボランティア 2nd (立野)

熊本地震ボランティア立野 06震災から約40日、復旧のお手伝いに南阿蘇へ出向いた。南阿蘇でも西よりの立野。町の中心部とは白川を挟む阿蘇大橋の崩落で、救援が遅れ、陸の孤島となった場所である。
容易に比べることはできないが、益城や御船など熊本市街に近い場所は多くの家屋に被害が及んだが、それとは少し違う山間部に位置する立野では、道路の寸断などで支援が具体化されたのが約2週間ほどあと。
5月14日発災1ヵ月で、ようやくボラセン立野サテライトとして、一般ボラの受入れが開始。早速日程の都合を調整し、サイトから申込み、高速料金無料化を手配して、現地に向かった。

熊本地震ボランティア立野 02熊本地震ボランティア立野 03集合場所である旧立野小学校には約60名、長崎、大分、広島、東京などから集まった。9時を過ぎてマッチング。
熊本地震ボランティア立野 05午前中に向かった場所は、国道から山手側の民家、蔵の荷物の運び出し作業。母屋は倒壊こそ免れたが赤紙が貼られた状態で、基礎に割れが見られる。お住いのおばあさんは、終始、支援の遅れについて、捨てられた立野と嘆いておられた。
途中4名が加わり、思いの外早く終了。ひとまずセンターに戻り、依頼を待って、午後から二件。ともにお宅からの廃棄品の回収と処分場での仕分けであった。
熊本地震ボランティア立野 07最後に訪れたお宅では雨漏りでぬれた畳の運び出し。ワンちゃんがいたので同伴避難について伺った。例に漏れずこちらでも、多くの方が避難所の外で、車かテントで継続して暮らしているらしく、5歳になるボンはお宅で待機とのこと。うーん。

熊本地震ボランティア立野 04少しの時間であったが、立野の町は、山の景観がなんとも美しく、近い。今回の地震で多くの箇所で山肌が見られ、これから梅雨を迎えるに、かなりの準備が必要とされるところ。土木や大工といった専門職が急務である。※この地震よって立野ダム建設と自然継承との亀裂がさらに深まりそうだ。

帰る道すがら、街中でも色濃く爪痕残る被災状況。また検討したい。(hico)

立野地区…
毎日新聞世界有数の大きさのカルデラを楕円状に囲む阿蘇外輪山。その外壁が1カ所だけ途切れているのが南阿蘇村の立野峡谷。写真は地震後毎日新聞からの転写。地滑りで橋が崩落し、向こうに見える立野地区が孤立した状態。