東日本大震災ボランティア 19th(南相馬市原町)参加

春らしい陽気のなか改めて小高でお手伝い。このところずっと天気に見放されてたので、清々しい気持ちで出掛けた。世間ではゴールデンウィークに突入してるようで、どこも混雑。
実は、今回の福島へのお手伝いは、目的が最後まで定まらず、里親会を考慮してSORAにするか、大阪からボランティアバスに便乗するか、小高のお手伝いか、Uum…
自分事でなく、相手の気持ちを重んじて考慮することで直ぐに決定。

南相馬市原町03向かう小高では、つい最近、ニュースで市立小高病院が避難地域で初めて、3年ぶりに再開したという。
この地域では、未だ居住することができないので、入院は受け入れることができないが、往診だけでも、その存在の意義は計り知れない。
インフラ設備も急ピッチに進められているようだが、如何せん除染に時間を要する。住民の望みが形となって進み出したと言えよう。

 

南相馬市原町028時ごろ小高のボランティアセンターに到着。多くの有志たちが集まって、ミーティング。複数の班に分かれて、現場へ。
この日向かったのは、同じ南相馬市でも原町にある鶏卵を取り扱う事業主さん。
その老夫婦は、現在どこだったか関東に住んでおられ、どうしても…との想いから、長年慣れ親しんだこの土地をなんとかしたいと決意したお父さん。
原発事故当時、約400羽の鶏たちとの別れがあった事を切々と語っていただけた。
約3年、時間が止まったままのその様子に想い浸る時間がいくらか欲しかったが、お父さんの決意に従い、飼料などを裏の畑へ限りなく運んだ。
南相馬市原町07パック400円以上。お父さんの研究が実を結び、東京へも出荷するほどのちょっとした鶏卵だったそうだ。

南相馬市原町06南相馬市原町05南相馬市原町04再開出来ることを望むお父さん。再開出来たとして実際食べたいですか?と、複雑な心境のお母さん。
全てを取り戻すことは難しい。
自己同一性が失われてしまうことで、老齢化を愚痴しておられた様子が強調してとれた。

鶏舎周りの倉庫、事務所、作業場を磨く。出来ることをするほかない。
一連の作業を午後3時まで貫いた。
離れる私たちの車に何度も頭を下げるお母さん。美味しい卵が早く出来るように願ってます。
(hico)

南相馬市ボランティア活動センター