東日本大震災ボランティア 16th(南相馬市小高区)

この2,3日前に発災後1000日を迎えた東北の被災地。さらなる復興計画が打ち出されたようだが、現実問題、除染すら手つかずのエリアがいまだ広域にわたる。
特定秘密法案の可決についで、最近明らかとなったエネルギー基本計画に原発再稼働が進められることとなった。誰も責任を覆うとしない立法府、行政府。福島で今も続く大惨事をまず対処することが何よりも望まれることではなかろうか。
電力会社前で座り込んだり、議事堂前で国民の代弁を叫んだりしても国の政策には届かない。遅延する福島の復旧復興のように、主権は国民にはないのだろうか。こうして私ひとりが福島に出かけることがどれほどの影響があるわけでもないが、ただ指をくわえて見届けることができず、再びその地に足を向かわせた。いくらかの能力とチカラがあれば、別の手段もできるだろうが…。偽善づらとふがいなさでもどかしさの表れなのかもしれない。

今回も限られた日程なので、前日の夜に現地入り。ピーチとレンタカーを乗り継いで南相馬へたどり着いた。
この季節、関西との気温差が身体に堪える。明け方気温0度のなか、センターについてみると日曜日というのに20名ほど。詳細はわからぬが支援人数が減りつつあるとのことをセンター長M氏が真珠湾戦争(12月8日)の話を加えて語られていた。
南相馬小高ボランティア 03このころになってくると限られたボランティアも精鋭ぞろいで、少人数だが非常に手際が良く、作業ニーズが発表になって班分けが進むと同時に、必要最低限の確認事項でそれぞれが必要な物を車に積み込むとすぐに現地へ向かう。私を含む6名が民家の家財搬出作業にあたることとなった。
本部から車で10分ほど南に位置する場所で、依頼者は週に一度日曜日しか対応できないためにこの日に当てられたとのこと。親族の多い本家で、もてなしのために準備として想像を超える家財(布団やテーブル、食器など)がそこにあった。作業開始前に海に向かって黙とうをさせていただき、早速取り掛かる。広めの屋敷の庭にどんどん家財が持ち出され、用意したトン袋が底をついた。
南相馬小高ボランティア 02余儀なく震災によって非難した状態から2年9ヵ月もの間、手付かずであったその状態は、幾種類もの虫たちにおかされ、御母屋はネズミの住処となっていた。ひとつひとつ手作業で住民に確認しながら庭に出していき、可燃、不燃に大きく分けてトン袋に振り分ける。
残念なことに大きく賞味期限の過ぎた飲料、お酒など液体は庭に穴を掘って土に流すこととなった。日本酒、焼酎、ワインにシャンパン、もてなし用のお酒はお店ができそうなくらいに並べられ、醤油や洗剤とともに封を切って流された。この場の小さな環境破壊は優先度が低く、住民の再建が最優先されての決断であり、誰もが戸惑うことなく、迅速に家財全般を丸一日かけて処理することができた。ご家族の方にすれば、無念の思いは計り知れない。計画避難区域となってから長期間を取り戻すことよりも振り切っての御決断であったのだと思う。

南相馬小高ボランティア 01作業終了は、予定時間を一時間ほど上回って残業することとなったが、丁度の区切りまでつけることができた。今後、倉庫は解体が決まり、御母屋は大掛かりな修繕をしていくそうだ。他の津波被災エリアで二年ほど前になされていたがれき撤去の段階がここではやっとのところ。
政府の復興計画は形付けられたが遅すぎる。これほどの期間が経過すれば多くの住民はこの地を離れてしまうのもやむを得ない。さらに除染はこれからすすめられるそうだが、安全基準があってないようななかで、これをだれの責任のもとで進められてゆくのだろうか。おそらく最終的に住民の意思と責任に委ねて、おぼろげながらの線を引いては表面を取り繕うのであろう。反して、美しく強く生きようとするこの地の住民は、これからも日本人として象徴ととらえて過言でない。

まだ多くの手が必要な状態は変わらない。ボランティアの参加が減っているのが少し気がかりである。