平成18年7月豪雨災害復興支援活動 (岡谷)

20060730_okaya_160ここ近年、世界的にも災害が多い。7月中旬、日本列島が記録的な豪雨にみまわれ、鹿児島、島根、長野において死者が多数出るほどの災害であった。
数日間、日本列島を覆うように停滞した低気圧のせいで、復興に時間がかかり、10日ほどたった現在においても、避難勧告が解除されていない地域は多数みられる。
今回お手伝いした岡谷市もまた、諏訪湖に面した山林の地域であり、土砂災害により、学校や公共の施設が押しつぶされた。特に山間近くが大きな被害を追う形となった。

当日(30日)のお手伝いをすべく、前日夜に高速バスで現地入りした。しばらくぐずついた天気もようやく週末以降回復に向かうとのことで、大域にわたり、復興活動に取り掛かる模様だと、ニュースで知らされる。
30日8時半、市役所前に集合し、列に並ぶ。多くのボランティアが来られていた。気付いたことだが、個人ボランティアよりも、団体参加が多く、個人的には日頃怪訝に思うような宗教団体も多数列に並んでいた。さらに、地元の土建業者、各組合等の社会団体が協力する様は、これまで以上に、結束意識が感じられる物であった。
早速、受付を済ませ、名札を貼り、コーディネーターの指示を待つことにした。各5人ごとの班に分かれ、グループ行動と振り分けられ、湊地区という場所に行くこととなった。
どういうことか、私のグループは4人であった。
マイクロバスで現地入りした。湊地区は、これまで避難勧告が出ていた地域で、前日、10日ぶりに解除された地区であり、復興もこれからの場所。
既にダンプ、ユンボー等の多くの重機が入っており、大掛かりな作業に勢いがみられる。
我々が向かった先は、民家が中心で、現地のコーディネーターのもと、住民からの依頼に基き、複数にグループが作業にあたる。その内容は主に、泥かきだ。先述のとおり、山間に被害が多く、傾斜がきついため、被害は多義に渡る。流された場所、泥が必然的にたまる場所など、何れの場所もが多様の被害を被った痕跡を目の当たりとする。
家内は、住民が困憊の中、率先した作業にあたられており、畑や納屋などに溜まった泥の除去が我々の主な作業となった。農作物は全滅となった畑では、2~10㎝ほどの泥の層が覆う。スコップ、バツケで効率よく通りに面した場所まで、泥を運び出す。・・・それが簡単なようで、実は、根気の要る作業。泥といっても殆どが粘土質の物で、茎にまとわりつく所は手作業が大半である。どうでもいい作業が我々の仕事ではない。住民から茎を残してほしいなどの要望に応えるべく、作業はスピードではないのだ。
土地柄か、とても休憩が多い。確かに暑いため、水分補給は求められる。私にすれば一日しかお手伝いできないため、出来る限りのことはしたいのだが、全体のバランス、効率、統制など様々な事情を加味すると、地に従うことが得策である。我々のリーダー宮沢さんは、地元で多義にわたり役員を兼任されておられるようで、多くの方が挨拶に来られる。かといって、偉そうでなく、笑顔でジョークを飛ばしながら、住民の方々を始め、私たちに元気を与えていた。 ・・・こんな人ってすばらしい。
私たちに続き、後続のボランティアが昼からも多数参加された。作業半ばである先発隊は、同意のもと作業を切り上げる指示を出される。地元の方々をベースとした復興の活動であるため、次の日を考えての取り計らいのようだ。
目の前の泥が気になるものの作業を終了し、バケツ、スコップ、一輪車等を丁寧に水洗いし引き上げることとなった。
全国からの社協の職員が我々のケアにあたり、水、塩、タオル、洗浄、消毒と、これまで参加したボランティア以上の心配りに感激。入浴券をもらい、夕方発のバスまでの間、行くことにした。同グループの方に送っていただき、少しの間であるが、地元の方とのふれあいがもてたことに喜びを感じた。
それぞれの地に基いた作業の方法があり、我々は、その中で出来ることをお手伝いするに過ぎない。岡谷市は、規模はさほど大きい町ではないが、いたるところで結束がある。大阪市は何処を向いて進んでいるのだろうと考えるほど、分かりやすく、住民を基本として組織だっているようにうかがえた。

帰りのバスは、オージーバス(?)と思えるほど定刻から遅れて停留所に到着。帰路に着くことに。・・・が、高速道路の復旧作業に加え、日曜日の夕方でジャンクション付近ということもあり、一時間半経過しても、岡谷の陸橋の上だった。見下ろす町並みは、一部の地域を除いて、災害を感じさせないほど機能している。きれいな町である。以前バイクの日本一周で通過したかな・・・? 何時か訪れるにしよう。
渋滞一時間半の遅れもあったが、定刻一時間の遅れで、梅田に到着。作業時間を考えると、移動に疲れた内容であった。

湊地区を始め、一部の地域では、まだまだ人手が必要なようだ。
現地ボランティア情報
長野県災害ボランティアセンター 情報

(参考)
11月1日洲本市の様子当日、岡谷市ボランティアセンターで配られた書類です。
大切な配慮です。
おそらく、マニュアルから出たものではなく、現場における住民の声をいち早く対応した姿勢と考えられます。
住民の話によると、
火山地域である岡谷市といっても、ここ何十年と災害はないため、行政の一般マニュアルで対応し切れない現状がたくさんあるようだとのこと。

(追記)9月22日
11月1日洲本市の様子岡谷市より、御礼のはがきが届けられました。

台風23号水害地域支援活動(竹野)

20041123 先日に引き続き、時間を設けることが出来たので、台風災害のボランティアに参加することにした。

(以下、ボランティア募集広報文面)11月1日洲本市の様子
 海に押し出された大量の樹木、枝が海岸に漂着し、防波堤のない自然海岸では3000立方メートルにもおよぶ漂着堆積ゴミがまるで埋め立て地のように広がっています。
 山陰海岸国立公園内の貴重な自然や竹野海岸に生息する生き物たちとその環境を危機にさらしています。
 大量のゴミを回収し、再び美しい海を取りもどすためにぜひお力をお貸しください。

 場所は、城崎に近い、山陰海岸国立公園内にある竹野スノーケルセンター・ビジターセンターというところでした。
⇒竹野スノーケルセンター・ビジターセンターのサイト

 大阪市内より、午前9時の集合時間に間に合わせるには、夜中に出なければならなかった。途中、とんでもない霧にみまわれ、多少時間は掛かったものの、無事到着。準備を整え、館長の説明を受けることとなった。
 実際に、見た目には、これまでのボランティアの努力により、さほどひどい情況には映らなかったが、そのゴミは、より細かく、より埋もれているのが現状で、これからの作業のほうが、神経を使うとのことでした。
 9時過ぎより、作業開始。
作業してみて、言われていた事が良く解った。川から流れ出た葦などの草屑にまぎれ、たくさん生活ゴミが散乱している。あるものは原型を崩し、波と石にもまれて細化で数センチ単位のゴミとなり、容易に採取できるものではなくなってきていた。草なども自然排出のゴミで生活ゴミとともに排除の対象にはなるのだが、処理の問題上、生活ゴミは、明確に分類していかなくてはならない。プラスティックの容器、ペットボトルなどが多くみられ、中には、注射器なんてのも採取したという。1時間ごとに10分ほどの休憩が入る。これは、思ったよりも重労働となった。以前の洲本における活動は力仕事がメインであったが、神経をより使うため、ほど良い休憩はありがたかった。

 現状は、人的緊急事態ではないものの、多くの人員を必要とし、長期に取り組まれるものとして、考えられる。自然との共生を勉強するに良い機会で、募集があれば参加されるには良いだろう。

 もう、七~八年ほどたつであろうか、日本海を侵したナホトカ重油の際にもくみ出し作業をお手伝いしたが、とても寒く、足場は悪く、作業の目途が立たぬほどで、悲惨な現状を身をもって体験したことがあった。久しぶりに訪れた日本海であるが、そのときのことが嘘のように、人的支援および自然の浄化作業により、見た目には問題はなかった。しかし、今回もそうではあるが、海に沈み、堆積するであろう、異質物のツケは、いずれ、私達及び後世に影響を与えるものとなるであろう。
少しでも、きれいに、自然の輪廻、生態系を崩さぬよう、異質物は、人の手で取り除かねばならない。自然界にないプラスティックなどは、人の手の範囲でとどめるべきものである。
 タバコのフィルターは、海中で完全になくなるには、200年はかかると、むかし友人に教えてもらった。決して強制されるものではなく、自主的に取り組んでいきたいものだ。

(HICO)

台風23号水害地域支援活動 (洲本)

2004103111月1日洲本市の様子今年は台風の上陸がかなり目立つ。23号により広域にわたって、川が氾濫するなどの被害が連日ニュースでも取り上げられた。
阪神大震災の記憶も明確に残る我々に、こんなときに何が出来るのかと思い知らされる。所詮人間である、自然相手に力を合わせないと生きて行けないものである。

近畿でも、被害が続出。10日ほどたった今、やっと先が見え出してきたようだ。実際に支援するとして、個人で可能な場所を模索する。豊岡も現状はかなり追いついてないようだが、時間的な制約から、淡路の洲本に行くことにした。朝7時の高速バスに乗り込み、9時頃からボランティアの受付が始まっていた。場所によって、人数が確保され一軒の民家に行くことになった。
見た目にはそれほどひどいというものではなかったが、泥の吐き出しだけが作業ではない。ずっしりと水を吸い込んで何十倍にも重くなった畳を廃棄するために運び出したり、倉庫の仕分けなど、住人だけで処理できるレベルをはるかに超えていた。
なかなか体にはこたえるものの、一生懸命にともに励んでおられる住人の方の姿を思うと、今、このときにしかお手伝いできないのだから、出来る限りはやって帰ろう、と。
お昼、食事を取る際、いろいろとその経緯など聞かせていただいた。高齢で足の悪い方が、背丈以上もの水位に対面したその場面は、想像を超えるものである。いろいろとお話を聞けてよかった。今、我々にそのようなケースがおとずれる事になれば、当然、動揺し、パニックとなり、被害はさらに膨らむであろう。人間の強さというものをまさに感じ、食後の作業にもさらに力が入った。
9時過ぎに来て、3時過ぎ頃には、泥まみれの荷物で山積みとなった。大げさな話ではないが、2トンが8往復ほどの量である。さらに今回のこの山積みが二回目であるという。一軒の家として、こんなにも出るものか・・・。
想像以上の重労働に、困ぱいした感も出てきたが、御人柄が後押しとなり、作業は一段落するところまでこぎつけることが出来たので、引き上げることにした。再び、会えることかどうか分からない人と人とのふれあいは、なんとも爽快感に変わっていった。

本日現在、まだまだ人員は不足しているようだ。ライフラインは全てつながり、街は動き出している。ただ、高齢の方や、障害をもたれてる方、商売などで荷物が多い方などの作業は、まだまだ。
そして、皆さんが遠慮されて、ボランティアに依頼を拒んでらっしゃる方も含めると、かなりニーズはあると思われる。

現地ボランティア情報
http://www.hyogo-vplaza.jp/etc/H161020_saigai.html

何のために出向いたのかは、そんなことは思い出せない。おそらく偽善のいやらしい気持ちもなかったわけではないだろう。偽善者でも、行かないよりはまし、なのかも・・・。
帰りのバスターミナルで、一人の女性が、“ありがとう”と声をかけてきた。自分の母親が一人で住んでいるとのこと。気持ちは晴れやかになる言葉であるが、それ以上の重みがある意味で感じた。
行きしなのバスで、喧しく携帯で話してた若者が、帰りには、泥だらけの姿で・・・、彼らと少し話が出来た。人の模様である。

何が大切なのか、少し解らせてもらえた、そんな気がした一日であった。

(HICO)