東日本大震災ボランティア 27th(南相馬市小高区)

東日本大震災ボランティア 26th(南相馬市小高区)01東北震災からまもなく5年を迎えるのを前に、再び福島県南相馬の小高区を復興のお手伝いに出向いた。(放射線量が激減することはないが、)大人な配慮によりこの4月を目処に完全帰還を目指してやってきた小高区、各方面で大幅な遅れがみられるとのこと。国、地方と住民それぞれの歯がゆさが聞こえてきそうだ。

何時ものごとく、一日だけのお手伝い。前のりで小高を目指す。国道を南下する途中、宮城・福島の多くの箇所で道路工事がみられた。これが復興のためのインフラ整備なのか、年度末と復興予算のあり方が十分なものかははなはだ疑問。ちなみにこの復興整備で大型車両の往来が多くなったのは必然だが、これまでの走行で道路の損傷が著しいなど感じたことはない。

さて、お手伝い当日。何時どおり8時過ぎにセンターへ。
関東方面からの団体は継続的に参加しているようだが、私のような個人参加は土日でも一ケタでこの日も9名どまり。追いつかない現状はいまだ変わらない。
集合時間となり、すぐに班分けがなされ、私は四名で樹木伐採の継続作業にあたることとなった。はるかにベテランさんばかりの班で、一日、迷惑のかからぬよう、懸命に励むことに。
チェーンソー、脚立、ワイヤー、ロープなど資材を軽トラに積み、北へ車で約15分、大きな庭がある民家に到着。黙祷の後、早速伐採に取り掛かる。
東日本大震災ボランティア 26th(南相馬市小高区)0220メートル以上ある杉などの樹木が十数本。
まず樹木の中央上辺りにワイヤーをかけるため、枝をはらっていく。脚立を徐々に伸ばしながら上へと。時より突風が吹く中、さすがに怖しい。
滑車を使って倒す方向にワイヤーを張る。ここでチェーンソーの登場。方向を定めて切れ込みを入れ、風を予測して、ゆっくりと倒しこむ。まず倒れた樹木の枝をはらい、幹を丸太状にカット。所定の場所まで運んで、ようやく1本。一日を通してこの日は合計7本の大木との格闘で区切りをつけた。

東日本大震災ボランティア 26th(南相馬市小高区)03このボラセンでは、ほんと多くの事を学ぶ。チェーンソーを使い倒した一日で、その操作方法から刃の手入れに至るまで、考える暇なく、体育会系の叩き込み。これまでの参加で、いろんな工具をさわれるようになった気がする。

追記
当初予定の4月完全帰還についてセンターで聞いてみた。
除染は先週の状況で75%ほどとのこと。あと二月ほどでいかに進められるかが当面の課題だそうだ。
HICO

[本年4月の完全帰還を目指す小高区]
原発事故の直後から警戒区域に指定され、全住民約1万3千人の避難生活が続く、福島県南相馬市の小高区。2年前からは「避難指示解除準備区域」に指定され帰還準備のための立ち入りができるようになったが、宿泊することができない。現在2016年4月の完全帰還を目指し、除染作業やインフラ整備などが進められているが、帰還へ向けての課題は多い。作業員不足などにより除染作業は予定から遅れ、資材や人員不足により家や事業所を直すにも建設業者の確保も難しい。昨年8〜9月に行われた南相馬市の住民意向調査によると、その時点で明確な帰還意志を示しているのは3割に満たない(全体の約9割が小高地区住民による回答)。その数字は20代では7.3%、30代で8.6%と更に小さくなり、完全帰還後は高齢者中心の町となる可能性が高い。