東日本大震災ボランティア 25th(南相馬市小高区)

25th(南相馬市小高区)01福島県南相馬市小高区に復興のお手伝いに出向いた。

小高を含めて多くの地域で避難指示解除準備区域」の状態である福島県。この26日の報道で、原発事故による自主避難者への住宅補償の今後の方針について発表があった。以前にも危惧されたその施策が具体化されたのである。基本的には2017年3月までの補償に限りを付け、低所得者にはその後段階的に補助を下げ、この先3年半ですべての住宅支援を打ち切るとのこと。この一方的に定められた期限で、戻るか去るかの選択を強制するとようなものだ。

確かに巨額の資金が保障面で提供されているために、永続的には難しいものうなずけるが、将来が奪われた住民の立場になり替われば、理不尽な話と思いも高ぶる。これまで幾度となく現避難者宅でお手伝いさせていただいた方々の顔を浮かべて、やるせない気持ちである。
このところの政治に対する不信感同様、国民の思いを形にする責任と説明をいま一つ明確にして進めてもらえるよう望んでならない。

さて、
いつも通りに限られた日程のため、一日のみの活動。すでに小雨が降る中、朝8時半にセンターに集合し、作業の振り分けがなされる。私を含む5名が、センターからほど近い場所にある民家の樹木を剪定する作業となった。これまで何度かご一緒させていただいた山形のAさんをリーダーとして、早速資材を軽トラに積み込んで現地に向かう。

25th(南相馬市小高区)02現場には既に御主人がおられ、具体的な作業について説明いただいた。
作業にかかる前に、海に向かって静かに黙とう、手を合わす。早速作業に取り掛かる。
杉などタイプの違う10本ほど、放置されたままとなった6~7メートルある樹木を、手のこ、剪定ばさみ、てみ、チェンソー、芝刈り機などで工夫しながら剪定していく。結果的に25th(南相馬市小高区)0425th(南相馬市小高区)03一日中降り続いた雨の中、午前午後ともに一貫した流れを保ち、何とか作業は完結に至ることができた。
御主人は現在、身寄りをたよって厚木に避難されておられ、年に一度こうして休みを利用して家に手を入れておられる。仕事で織物をされておられたその工場は母屋に隣接されていたが、地震で全壊し、取り壊しを待つ状態。(こうした復興の準備段階がいまだ多くみられるのが現状である。)
都会になじめず、元のこの家に戻ることを心待ちにしておられたのが特に印象的であった。
帰還する住民は全体の3割の意思表明にとどまっているとのデータもある通り、地域としてのコミュニティをはじめ、元の生活に戻ることは完全には難しい。ただ、御自身の力強い意志がそこにはあり、少しでもその応援ができたことは、なんとも感慨深く思えた。

また時機を見て、小高を訪れようと思う。(HICO)